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Kumamoto ~ Berlin ~ Tokyo
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昨年、東京でメキシコから来たキヨタ家族と会い、今度会いに行くからねと約束したので、ちゃんとメキシコに行ってきた。
一枚の写真で全てが始まったこの家族は様々なドラマと愛で溢れてた。🇲🇽
#メキシコ 

メキシコシティのはじめて会う親戚達。
とてもよくしてもらい、この家族との時間は今後忘れない経験となった。

次はメヒカリという場所に移動した。
まずはタコスでお出迎えしてくれる。🌮

素敵な人、エドナ

クラウディアとカズミ。
写真を通して家族の歴史を伝える。

アメリカ アリゾナにも家族がいた。
庭には多くの果実が木々かある。おばちゃんの手先の器用さは娘のヒデコさんの庭に繋がっていた。

メヒカリは暑い。しかし湿気がないので爽やかさもある。汗だくの撮影。

はとこに当たるミノルとエクター。2人のサポートには本当に感謝✨

ルルデスさんの家族。夫であるヒロシさんは亡くなってしまい残念ながらお話しを聞く事ができなかったが、ヒロシさんの話しを家族がたくさん語ってくれた。

次の世代。
日系という言葉はいつまで続くのか。日系とは。

こちらもみんな親戚になる。
メキシコに自分と繋がる家族がこんなにもいるなんて。不思議だなと感じながらもこの繋がりを続けるために写真を撮る。

家族で卓を囲む。
円卓パンパンになりながらもそれぞれの近況を報告。家族集まるってめちゃくちゃ大変なことだけど、皆日本から俺が来るって事で集まってくれた。ありがとうございました🇲🇽✨

そして、生物学者の沢子さん。
この方はメキシコのこと、VISAの事、皇族の事、本当になんでも知ってる。話しがとても面白く、ずっと話しを聞いていられる。
知識だけでなく、感情豊かな方であり、優しさもある。最後アメリカに一緒に入ってくれてとても心強かった。沢子さんありがとうございました!!!

キヨタ家の玄関の前には鮮やかなブーゲンビリアという大きな植物がある。調べてみるとブーゲンビリアは海外にいる旦那の元に嫁ぎに行く女性のたくましさと情熱の象徴として語り継がれていた。海を渡り、異国で生き抜いたおばちゃんの力強さを今回の旅を通して強く強く知れた。🌱
#ブーゲンビリア taken in Mexicali, Baja California by @mitsuru.nishimura
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4 days ago
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メキシコ バハカリフォルニア州 メヒカリ
おばちゃんが85年前に熊本から移り住んできた街。
アメリカとの国境にある街で、一直線の無表情な壁が永遠に続いているかのような景色が続く。
年々アメリカとの国境の壁は高さが延長されており、アメリカへの入国料金も値上がり、大渋滞も起きている。 
国境の街ならではの事情を抱えている。

ここは日系人やアジア人が多く入植し、農業や工場などで働く。
かつてはコロラド川から多くの水が引かれていたが、アメリカ側でダムが建設され、水が少なっている。そして入植者達も姿を消している。

夏場は50℃を超えるらしい。世界的にも暑過ぎる街。

ミノル、マイテ、アナマリアと現地調査。
おしゃべり好きなアナマリアのスーパーコミュニケーションで地元住民が町の昔話を始める。

日本人の税金の申告書が見つかる。
この後戦争によって日本人達はメキシコシティに強制収容されるため、畑は手放される。

昼メシ食べながらおじちゃん達の話しを聞く

人気のない静かな所に現れた日本人によって建てられた建物。
ここで何を考えながら生活したのか。

おばあちゃんが強制収容される時にメキシコシティへ向かうために利用した駅。おばあちゃんは当日妊娠中だった。

手先が器用な日本人は多くの歯科系の仕事もしていたらしい。

綺麗な夕陽を眺めながら帰宅 #volkswagen

オーダーする前に出てくるトッピングはおかわり自由
メキシコ人のミノルはタコスが嫌いなメキシコ人には会ったことがないらしい。
#asaderoacatlándejuárez taken in Mexicali, Baja California by @mitsuru.nishimura
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5 days ago
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日本とメキシコの関わりが始まったのは徳川家康がきっかけだったらしい。
徳川家康の命により2カ国の関わりが始まり、幕末から明治になった頃から徳川幕臣の新天地としてメキシコが候補に上がり、それから移民が始まる。
その後戦争が始まり、アメリカの同盟国だったメキシコは日本に制裁とメキシコに住む日系人の強制移動や強制収容を行う。concentracion(集結・集住)

戦後メキシコとは国交を回復し、今年で74年。関わりが始まった徳川時代から417年。

メキシコでの日系人の歴史を知るためにシティでは4名の方にインタビューを実施。

INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所)で教授・研究員のSergioさん
様々な本や資料を提供してくれて、メキシコ在住の日系人の方々を紹介してくれる。

横浜に住んでいたことがあるらしい

あかね記念館の職員であり、人類学者の太田さん。
2階では日系人の考える”価値観”についてのコーナーがある。
現代の日本人と日系人は考え方や、価値観がけっこう違っているようで日本人というよりも、日系人の考え方も残し、伝えようともしている。

榎本植民団の到着時の写真

建築カッコ良いソウマヤ美術館

綺麗

1942年 おばちゃんと一緒に戦争の影響で首都に強制集結させられる経験をした大兼久貴美子さん。移動は両親と弟、おばちゃんとその旦那、数名の家族と共にするが、昔の列車は脆く、ひどい揺れ、子供が泣き叫び、大人は乗り物酔いに苦しむ。そんな中おばちゃんは妊娠していたり、貴美子さんの弟は移動中に亡くなる。日本人にそんな強制移動をされていたという歴史があったなんて・・・

戦後移民の飯田さん
戦後1ドル360円の時代に海を渡り、兄と共に仕事をし、日本人と結婚し、子供にも恵まれ、今年91歳には全く見えないほど元気で、ハンサムな飯田さんはメキシコで習字を教えている。

習字習おうかな

ベジャス・アルテス宮殿

ディエゴ • リベラ

メキシコ壁画運動
エネルギー凄い

メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂

文字可愛い

いいね! taken in Mexico City by @mitsuru.nishimura
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9 days ago
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メキシコシティ🇲🇽
#mexico #ルチャリブレ #マリアッチ #フリーダカーロ #死者の日 by @mitsuru.nishimura
4
15 days ago
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メキシコの歴史を学ぶ

大きく3つに分けるとメキシコの歴史を把握しやすい。
1. 紀元前1500年~1521年 オルメカ文明、マヤ文明、テオティワカン文明、アステカ文明
2. 1521年~1821年 スペインによる植民地時代
3. 1910年 メキシコ革命

・約30万年前にアフリカで誕生した人類は、3万5000年前に当時地続きであったベーリング海峡を渡り、北アメリカから南下する。
紀元前1500年ごろにオルメカ文明が生まれ、それからマヤ文明、テオティワカン文明、アステカ文明が登場。
トウモロコシが主食であり、天体観測も発展し、暦が生み出され、神々への信仰、生贄が捧げられるところなどが特徴。

・1492年にコロンブスが新大陸を発見し、1521年にコルテスがアステカ帝国を滅亡させる。スペインによる植民地時代では、身分制度、スペイン人によって持ち込まれた疫病、強制労働、西アフリカからの奴隷輸入、キリスト教カトリックの宣教など。
1776年 アメリカ独立、1789年 フランス革命、1822 ブラジル独立という世界各国で革命と独立の波が起き、メキシコは300年続いたスペインによる植民地時代が1821年に終焉。

・1876年に大統領に就いたディアスはメキシコ各地に鉄道を敷き、外資を誘致し、メキシコの近代化を成功させるが経済格差も引き起こし、先住民や農民などが蜂起して1910年にメキシコ革命が勃発。

“私が諸島である”といあカリブ海の人類学の本と共鳴する一冊で、コロニアル、ポストコロニアの歴史の一部をメキシコを通して知れた。

#マヤ文明 #アステカ帝国 #スペイン植民地時代 #メキシコ革命 #タコスのすべて 🇲🇽🌮 by @mitsuru.nishimura
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a month ago
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なぜ、たった一枚の写真で、見知らぬ男性のもとへ海を越えて嫁いだのか。
おばちゃんは、「外国に行ってみたかった。母親を助けたかった」と語っていたが、その決断には、どのような背景があったのだろうか。現在、おばちゃんの当時の生活や社会の空気を調べている。
さらに、そこには人間の内側に潜む、不思議な力が働いていたのではないかとも想像する。それを知るための手がかりとして人類学が機能するのではないかと考え、少しずつ人類学に関する本を読んでいる。
今回は文化人類学者 松村圭一郎さんの著書『海をこえて』を拝読。
この本は松村さんがフィールドワークを行うエチオピアのある村で、女性たちが外国へ出稼ぎに向かう現象を取り上げ、いくつかの移民論を比較しながら、人が移動する理由について考える一冊。
これまで、移民や出稼ぎ労働者など、国境を越えて移動し、その土地で生活を築く人々は、彼らを管理の対象とする国家の視点から説明されてきた。人類学、そしてこの本が目指すのは、国家側とは逆に、移動する側の視点に立つことだ。さらに、別の見方ができないかを探ろうとする。この本を読めば、おばちゃんの行動を少しは理解できるかも、そして、おばあちゃんの事を少しでも知れたらと思う。そんな期待を抱きながら読んでみた。
読了。
うーーーん、なかなか捉えきれなかった……。すみません、俺の読解力の問題でもありますが、そもそもファンタジーな期待をなぜする・・・とも今更思うが。。。
しかし、それでも人類学にはこの不思議さをひも解く手がかりが何かあるのでは!?と人類学にファンタジーを期待している。
人の移動について書かれたこの本の内容には、学ぶことが多く、本の中は引いた線だらけになってしまった。
🌮面白かった箇所は、コメント欄でいくつかピックアップ!

移民としてメキシコに渡ったおばちゃんを知っていくと、現在日本で議論される外国人労働者の存在に意識が向く。彼らをまず問題として捉えるその視点を問い、彼らを可能性として見直してみる。人類学にはそんな力もあり、これから必要な視点となっていくと思う。

#松村圭一郎 #ポールコリアー #サンドロメッザードラ #逃走の権利 #万物の黎明 by @mitsuru.nishimura
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2 months ago
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3年間で、上から下の写真にかけて口腔環境がかなり変わった。

上の写真は、左の犬歯がなんと乳歯だったことを証明する写真。(34歳までずっと乳歯で生きていた……)歯並びもかなり悪い。

本来生えてくるはずだった永久歯は、上の前歯の歯茎の中に埋まっていたそうで、その永久歯がそのまま歯茎の中にあると、その後の歯列矯正に影響が出るという診断を受けた。そこで、その永久歯を除去するために全身麻酔で手術。(その後約1年は前歯の感覚があまりなかった)

それから、わざとワイヤーの作用で下の歯を動かし、手術によって一気に上顎と下顎の位置を調整した。わざと顎を骨折させて、顎を移動させる。その切断された顎も3ヶ月経つと骨が再生し、接合してきた。(下の写真)
しかし下顎はまだ時間がかかりそうで、写真を見るとまだ接合していないのが分かる。下顎の神経もまだあまり回復していない。いまだに痺れてる。

実は4年前には鼻の手術もした。ずっと鼻の通りが悪く、アレルギーもずっとあった。レントゲンで鼻を見てみると、一部の鼻の骨が曲がっており、その影響で空気の通りが悪かったので、その骨を除去。同時にアレルギー反応に関わる神経を焼灼。この時は局所麻酔だったので意識があり、鼻の骨を除去する音、神経を焼く臭いがかなり恐ろしかった……。しかし手術のおかげで鼻呼吸ができるようになり、アレルギー反応もかなり落ち着いた。

4年間で3回も手術……。

その影響なのか、近年は肌荒れがひどい。そして首と腰の痛み、ヤバい。

肌対策に抗生物質、ステロイド、漢方、ヒト幹細胞の乳液、インドの怪しい塗り薬、お祓いまでいった。けど、なかなか治らない。一時は治りかけるけど、肌荒れの方が乗り越えてくる。

首はギックリをするし、腰のことを考えると湿布を手放せない。どうした、俺の身体。

内臓の問題が身体の諸問題を引き起こすと聞き、肌荒れも腰痛も関係があると聞いて、胃カメラ、大腸検査もやった。全然問題ない。肝臓の検査にも引っかからない。首と腰のレントゲンを撮っても全く問題ない。何が起きてる、俺の身体。

そこで野口整体の野口さんに相談したら、「身体は手術によって新しくなっており、身体のバランスが変化したことで、肌荒れや首・腰に影響が出ているのかも」というお言葉をいただいた。

ポイントは下半身の強化とのこと。下半身を強化することで、新しくなっているところと、まだ変化できていないところの差を縮めることが、身体のバランスを整えるということらしい。

なので最近は、もっぱら歩く、走るを意識している。そしたらまた痩せた。しかし身体が軽くなり、持久力と集中力が向上しつつある。

すると、最近はほんの少しずつ肌荒れが治りつつあり、下半身強化によって身体の姿勢に変化が現れつつある。

これまでの首と腰のトラブルは姿勢の悪さが原因だったようで、その悪姿勢は、実は噛み合わせから来ていたのかもしれないという見解もある。
現在、ワイヤーの影響で噛み合わせは毎日変化しているが、噛み合わせが自分の姿勢を作っていることを実感しつつある。

歯の噛み合わせという、些細なことのように思える小さなズレは、日々の積み重ねによって、気づかないうちに自らの身体に大きな変化を引き起こしていた。

話す、笑う、食する。その支えには歯並びがあり、それはその人を構成する大きな要因なんじゃなかろうか。

来年は、現在顎についている器具を外す手術をするが、(また手術……😭)そのタイミングでついに歯の矯正も終わる。めちゃくちゃ嬉しい。

日々の噛み合わせは、今日の自分を作っている。明日も歯を大事にしよう。そうすると自分を大事にもできる!!!

#歯列矯正 #噛み合わせ by @mitsuru.nishimura
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2 months ago
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大嶋さん

先日メキシコのメヒカリ在住の大嶋さんにお会いすることができた。
メヒカリは、私の大叔母(おばちゃん)が熊本から写真花嫁として渡った、メキシコ北部のアメリカとの国境沿いにある街。
大嶋さんは、メヒカリのおばちゃんと親交があり、おばちゃんの家族ともつながりのある大学教授だ。
大嶋さんは20年以上メキシコに暮らしており、メキシコの歴史、宗教、社会、国民性、そしてビザ関係など、幅広い知識をお持ちで、おばちゃんのことや、おばちゃんを取り巻く世界、人々について話してくれた。
大嶋さんのお話の中で最も印象に残ったのは、おばちゃんが多くの日系人や住まいのない人など、さまざまな事情を抱えた人々をメヒカリの家に招き入れ、無料で住まわせていたということ。
その受け入れる姿勢は現在の家族にも受け継がれ、おばちゃんの子どもたちは、社会でマイノリティと呼ばれる人々を家に招くことを、今でも実践しているらしい。
おばちゃんの家族にとって、マイノリティの人々に居場所を与えることが、ひとつの伝統となっているようだ。
お話を伺った場所は、明治時代の西洋館をイメージして建てられた「馬車道十番館」というお店。
1941年、おばちゃんは熊本から横浜へ移動し、横浜港からメキシコへ渡った。
当時、おばちゃんは横浜の西洋館を見たのだろうか。どんな心境で、西洋館を背に横浜港を出港したのか。
もしかしたら、おばちゃんも目にしたかもしれない西洋館で、大嶋さんからお話を聞くことができた。
#横浜 #1941年 #warbride #メキシコ by @mitsuru.nishimura
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2 months ago
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写真花嫁について調べているうちに分かってきたことは、写真花嫁は女性移民史に現れる一つの現象であり、女性移民の一つの形だったということ。
時代によって女性移民の背景は異なっており、
・戦前の写真花嫁
・戦後の移民花嫁
・日本統治時代のコリアン写真花嫁
・アメリカに渡った戦争花嫁
・ハワイに渡った軍人花嫁
どの移民女性も海を渡った経緯はそれぞれであり、移住先でさまざまな経験をしている。そのため、一概に「移民した女性とはこういう人たちだ」と説明することは難しい。

今回読んだ本では、女性移民たちは皆、自らの意思を持って海を渡ったと紹介されていた。ヨシコ•ウチダの著書『写真花嫁』にも同様に、女性主人公の意思や選択が描かれていた。
海を渡り、異国で家庭を築き、子どもを育て、夫を支えながらも自ら働く者もいた。また、移民同士のコミュニティを形成し、草の根の国際交流を発展させた人々もいた。この本では彼女たちをたくましく、そして幸せに生きた人々として描いている。
確かに私の大叔母も「メキシコでの生活は強い心がないといかん」と話していた。口調は強かったが、表情はとても優しかったのを覚えている。大叔母の強い心は、今のメキシコで暮らす子どもたちや孫たちの結束の力として受け継がれているように感じている。

先日、テレビ東京で熊本から父親と弟とともにアルゼンチンへ移民として渡った女性の帰国を手伝う番組を見た。
「久しぶりに故郷を見たい。兄や姉に会いたい。」
そんな思いから、64年ぶりの帰国、帰熊が実現した。
熊本から広島での聞き込み調査は簡単には進まず、番組でありながらも、本当に家族に会えるのだろうかという不安が伝わってきた。そしてついに姉との再会を果たした女性の心情は簡単には理解できないが、彼女は涙を流していた。
気付かされたのは、女性は長年故郷を思い続けていたが、その一方でその女性を思い続けていた人々(親切たち)が故郷にもいたということだ。

現在、森美術館で開催されているディアスポラに関する企画展を見てきたが、ディアスポラは移動した側だけの感情ではなく、残された側にもまた存在している。人と人との間に広がる網目状の関係性がディアスポラのあるカタチなのかなと想像する。
#写真花嫁 #diaspora #森美術館 #ディアスポラメモリー by @mitsuru.nishimura
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4 months ago
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アンドプレミアムにて、1か月間写真の連載を担当させていただくことになりました。
様々な国を旅しながら撮った写真が毎日1枚ずつ公開されており、今週から2週目に入りました。
私が旅先で出会った人々を撮るときは、できる限り相手とコミュニケーションを取るようにしています。了承を得てシャッターを切らせてもらえる瞬間は、いつも本当に嬉しい!!!
(俺は相手と話をしてみたいから、写真を口実に近寄っているのかもしれない…)
私は写真そのものだけでなく、そこで起きる相手とのコミュニケーションを、いつも大事にしたいと思っています。🍵

https://andpremium.jp/column/photo/

@and_premium @nishimura_mitsuru_photo 
#kodak #kodakfilm #mamiyarz67proⅱ #fujigf670 by @mitsuru.nishimura
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4 months ago
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戦前に写真花嫁としてアメリカに渡ったハナの物語。
ハナは京都の武士の家系で、お手伝いがいたりする裕福な家で育つが、昔ながらの風習(家制度や村社会)に窮屈さを感じており、姉たちのような親同士で結婚を取り決める愛のない結婚にも抵抗があった。
ある日、叔父がアメリカで商売をしている男性の結婚相手を探すためにハナの母に相談を持ちかけたところ、ハナはこの村生活から離れたい、農業はやりたくないと考えており、この話を良いタイミングと考え、ハナの方から嫁ぎに行くと申し入れをする。それからアメリカにいる男性と結婚が決まり故郷を離れアメリカに渡った。
当時のアメリカでは日本人は”招かれざる客”として扱われており、常に他者としての生活を強いられていたが、そんな社会にも日本人コミュニティが存在し、そこでの民族同士の結束を支えに生活を送る。
その後戦争が始まり、娘や友人との別れ、住居からの強制退去、強制収容所での生活、そして夫の死を経験する。彼女には幾つもの別れと大きな移動が起きるが、ハナにはいつも自分の意思があった。自分で仕事を見つけてお金を稼いだり、お店を経営したり、若い子を助けたり、アメリカでの日系人に対する法律に反発したり、自分の身の回りに起きる出来事に翻弄されながらもしっかりと自分の気持ちに気づき自分にできることは何か、と常に考え行動していた。書籍の冒頭にある言葉、「試練に耐え、打ち勝った、かの勇敢な日本人女性たち」を象徴するような女性だった。

この本で面白いと思った点が、においに関して。
当時のアメリカ社会では日本人が食していた漬物や味噌などの発酵食品から出るにおいに対してかなりの嫌悪を感じていたようだ。
ハナがバスに大根の漬物を持ち込んだことでバスの運転手から腐っていると言われて席を移動させられたりする。反対に日本人は漬物のにおいに郷愁の念を感じていたようで、民族同士では励ましになっていた。
一方で、日本人はアメリカ人が食べるローストビーフのにおいが駄目だったようだ。きっと血のにおいだろう。発酵を食べる日本人と血を食べるアメリカ人は体臭や生活違ってくるだろうし、当時は言語の壁もありお互いの情報や理解も薄かったと思う。そこには齟齬が生まれ、共存は難しかったのかもしれない。差別や排外はこうやって生まれるだろうなと想像する。差別や排外主義は特別な悪意から始まるのではなく、食事や生活習慣、そしてにおいのような日常的な感覚の違いから生まれることもあるのではないか。だからこそ、自分が何に違和感や嫌悪感を抱いているのかを意識することが、他者を理解する第一歩になるのかもしれない。
#写真花嫁 #henryyuzurusugimoto #minéokubo by @mitsuru.nishimura
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4 months ago
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顎のリハビリには散歩が良いとの指導を受け、なるべく毎日歩く歩く歩くをした結果1ヶ月で7kgも体重が落ちた。外食、コンビニ食、お酒を断ち、消化の良い食事が中心になったことも要因だろうけど、同時に肌荒れもかなり改善した。何を食うか、どれだけ食うかで身体は構成されているんだと実感する。
口周りはまだ痺れ麻痺腫れが続いているが、昨日遂にお粥ではない米を食えた。咀嚼の喜び。毎日歯並びが変わるが徐々に歯の噛み合わせが良くなっている事にも喜びと安堵がある。身体はちゃんと回復している…!!! 
#顎変形症 #散歩 by @mitsuru.nishimura
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